日影眩 ひかげげん エッセイ ブログ
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 ニューヨーク移住のあと、私は柳に飛びつけなくなったカエルのようになった。思い出したようにローアングルの絵を描こうとしたが、その都度この作品が東京という街を背景にして作られたものであることを思い知らされる結果になった。そうでなくても移住した作家のほとんどが数年は制作できなかったといわれている。環境は作品を支える場であるから、それは当然のことであるだろう。孤独に加えて、生活環境が異なり、言葉が不自由になるという決定的問題が覆い被さってくる。私がようやくニューヨークという環境からわずかに湧き水を汲み出して、制作を始めたのは移住後4年が過ぎた1998年ごろからだった。それも遅々として進まなかったが、ようやくにして2002年の12月にチェルシーのノンプロフィット画廊、ホワイトボックスの企画で個展を開いた。この新しいミュータントはニューヨークにあふれる廃棄された日常のオブジェクトを甦らせようと試みたものである。手足や羽やひれ、目玉や口を与えて、擬生物化を試みた。それはシュールリアリズムという美術の一ジャンルを呼び出すまでもない、今日、日常的にアニメやゲーム、漫画やフィルムなどにあふれる大衆的な手口である。ただ私はその主題を使い古された、あるい廃棄された日常の物品に求めた。それらの人工物は時としてハイテクの産物であり、すでにして私たちの時代の不吉な化石である。それはちょうどニューヨークの湧き水に重油やダイオキシンが混じっているような具合に、私の新シリーズの絵画を、お飾りになるようなものではない、ぎこちなく苦みを帯びたものにした。けれど最近になって、私が70年代、80年代に東京の街で制作し得た、ローアングルの光景が、この20世紀初頭に完成した古い街ニューヨークでも目立つようになってきた。アニメやゲームなど日本のサブカルチャーの影響もあるかも知れないが、現実の環境ではなく、バーチャル・リアルの世界が人々のイメージの大きな部分を占めるようになって、垂直に世界を見る視点が、この街の人々にとってもリアリティを持ち始めたのだ。一方現実の世界でも地価の高騰に押し上げられるようにして、マンハッタンやブルックリンでも、最新のテクノロジーと開放的なポストモダンのデザインによる高層ビルが立ち上がってきている。このような転換期にあって、私の最近の仕事は回顧的な色彩を帯びる。

2006年3月  日影眩


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