ニューヨーク夢幻(ゆめまぼろし)のごとく住み 日影眩 <その6・10月>
Living in New York as in a dream or fantasy, by Gen Hikage (artist)

日影眩プロフィール:画家。個展、グループ展歴多数。1994年よりニューヨーク・ブルックリンに滞在。
1994年7月から2006年8月まで、月刊「ギャラリー」誌に 「日影眩の360°のニューヨーク」(ニューヨーク・アート情報のレポート)連載、2000年9月に同名の単行本を出版。

ドイツを旅した(1)

 9月半ばから半月以上、ドイツを旅してきた。フランクフルト空港で、東京から来たかみさんと待ち合わせて、フランクフルトからヴェルツブルク、ライン下りで古城に一泊の後、コブレンツを経由して、ケルン、そこからボンに寄って、デュッセルドルフ、それからICEで6時間少しかけてベルリンに到着した。ベルリンでは5日後にかみさんが帰った後も更に4日ほど私は滞在して、画廊街や美術館を見て回った。

 旅の印象をいくつかいえば、まず至るところで見る戦争の傷跡、それから地元ビールやワインのうまさ、親切だがほとんど英語を話さない人々、毎朝のホテルの朝食に出る様々なハムとソーセージ、それからたくましくお尻も大きく、見ているとこの民族はもう4〜5回は戦争をしそうだと思えてくる魅力的な女性たち。

 もう一つは観光に行った私が観光の対象にされたこと。極めつけは帰りのアムステルダムからの飛行機の中、トイレに行って戻るときは完全に全員が私を見つめていた。もう少しよい顔でありたかったと思うのであるが、NYでも私は「He has a Japanese map on his face」といわれるわけで、日本人のみなさまには申し訳ないが、坊主にしているせいもあるかもしれないが、サムライとか、空手家などに(いや、時には犯罪者かテロリストに)見立てられてしまうのである。日本人の観光客もいるところには集中しているはずではないかと思ってしまう。もっともベルリンの伝説の劇場、ヴィンター・ガルテンの案内係の男性に「カシミールから来たのか?」と聞かれたときにはこけたけれども。

 戦争の傷跡は、私たちが泊まったシェーンブルク城がナポレオン軍に落とされたというような話はロマンを誘うほどのもので、丸焼けになって、疎開させていたために助かった家具調度類を展示するゲーテ美術館を訪ねたフランクフルトから始まって、まるでクレーの絵のように美しいヴェルツブルク要塞を訪ねてその美術館に展示されていた、アメリカ空軍によって破壊し尽くされた直後の、ヴェルツブルグ市街の模型を見た時、そうして極めつけは保存されたベルリンの壁と背中合わせに、ナチス本部跡の雑草におおわれた空き地に沿って展示された、国家によるユダヤ人狩りの写真群で、それがこのベルリンで展示されているという事実に衝撃を受ける。

 私たちはユダヤ人虐殺に対して、特殊なドイツ人の行動と受け取りがちであるけれども、ユダヤ人はヨーロッパでくり返し虐殺の対象とされてきた歴史を持つということである。20世紀の産業革命の成果はその虐殺を、未曾有の規模に拡大したということである。けれどユダヤ人にレッテルを張り、隔離し、銃殺する写真を今も、観光客と国民に示し続けるその精神を何と受け取ればよいのだろうか? ある特定の人々にとってそれは、二度と繰り返さないための戒めとしてというよりは、今も見事な成果、立派な行為の証明なのではないかと疑ったとしても大きく外れてはいないのではないだろうか?

Ms Gabriele Rivet and "Move" by Andreas M. Kaufmann
at Gabriele Rivet Gallery
 ケルンでは紹介されていた画廊オーナーでディレクターのガブリエル・リベットさんを訪ねた。彼女はその画廊で、ヴィデオ・インスタレーション、Andreas M. Kaufmann, Move展を開いていた。それは見る人の像がいくつものモニターの中で振れるというもので、その動きはちょうど設置されているいくつものメトロノームの動きに一致しているわけで、そこに小さなビデオカメラが設置されているのである。「日本でものぞきに使われると、今問題になっている」、とかみさんがいった。面白いのはその作品がバスルームにも設置されていることで、まさに「のぞき」を暗示するのである。そのバスルームで写真を撮らせてもらったらガブリエルさんは照れた。

 彼女の話ではいくらかの有力画廊がベルリンに移って、今ではケルンの画廊街は力が落ちたといわれるけど、私などはそうは思っていない、ということだった。ケルンと、鉄道で20分ほどの距離にあるデュッセルドルフは、共に戦後、現代美術に影響を及ぼしたドイツ美術の中心地として名高いのである。例えば有名な前衛美術家ヨーゼフ・ボイスはデュッセルドルフ美術学校の教授として、アンセルム・キーファー、ジグマー・ポルケ、ゲルハルト・リヒターなど、世界的ないわゆるドイツ新表現主義の画家たちを育てた。

 彼女が推薦してくれた近くにある数軒の画廊を訪ねたが、写真展が多く、一軒のペインティング展は昨年のドクメンタで受賞した作家のようであったが、抽象で、NYから来たものの目には、やや、時代がかつて見えた。写真も、それが絵画否定という形であり、かつて影響力を持った著名作家ということだが、私には少しアカデミックに思えた。ガブリエルさんによると、今ケルンの画廊はいっせいに写真展を開いているということで、その写真ばかりのカタログをもらったが、その日は土曜日で、ここでは画廊は4時には閉まってしまうところが多いということで、4時を過ぎたので、私たちは他を回るのを止めて、近くで開かれていた地元教会のお祭りのにぎわいに参加して、珍しい鳥の足の料理でビールを立ち飲みしてローカルな旅の気分を味わった。

 ここでは日曜日、月曜日は画廊は休みということで、それはNYも同じだが、困るのは美術館も一緒に休みになってしまうことである。商店街は6時を過ぎるといっせいに終業して、レストラン以外は開いていない。スーパーも終わってしまうのである。この辺りもNYとは異なる一致団結振りで、さすがにドイツというべきなのか? 日曜は大聖堂とか、市内見物して、月曜にはボンに移動した。けれどもやっぱり美術館は休業。やむなく開いていたベートーヴェンの生家を訪ねた。そのあとデュッセルドルフに移動して、ハインリッヒ・ハイネの生家跡のあるレストラン通りBolkerStrを見物した。大勢の人々が通りの端から端まで続くレストランの、道路におかれたテーブルで、ソーセージなどで地元ビールをやっていた。それからナポレオンも食事したと伝えられる有名なビア・レストランZum Schiffchenに行って、ソーセージの盛り合わせを注文して飲んだ自家製アルトビールの世界一のうまさが、安い料金と共に忘れられない。 

Otto Dix, Skat Players 1920
 翌日の火曜日、やっと開いたこの地の有名な州立美術館を見た。残念なことにはちょうど、すでにNYで見ていた「ポロック展」で、見たいと期待していたクレーのコレクションを見られなかった。やむなく「人形展」だけを見たが(というのもかみさんはポロックを見たくないのである)、もちろん大部分はコレクションからの出品だから、歴史的なドイツ20世紀美術に出合えて、それは収穫であった。

 それにしてもほんの少し過去に、フランスのバルチュスという画家の名前を知らなかったように、ドイツの、戦中ゲシュタポに逮捕された”堕落”画家オットー・ディックス(1891〜1969)の名も、私たちにとってはポピュラーでは無かった。今では彼の作品を展示しないドイツの美術館はない。美術などというものは時代が過ぎてみなければ、平和な時代においてさえ、その帰趨は分からないものである。それとも、今もあることだが、ただ日本人だけが偏った情報を与えられていたのだろうか? ここにはガブリエルさんの好意によるとする日本人作家のペインティングもあった。

 それから真向かいのデュッセルドルフ芸術会館では「ヘブン展」。これは実にジェフ・クーンの「マイケル・ジャクソンとバビーズ」のほかに、モリ・マリコの「Empty Dream」があった。いわゆる世界のもっとも今日的と見られる美術の展示である。フランクフルトの近代美術館でも、フィシェルや、カッツに混じって河原温や荒木経惟の個展が含まれていたように、ドイツの美術館では、国内の作家のというよりは、世界の注目されるアーティストの総花的な紹介展が目立つ。そうでなければ、栄光の20世紀ドイツ美術と戦後のドイツ新表現主義の作家たちの作品の展示である。それから迷惑な話だが、この会場では執拗に私はガードマンに(下の階まで付いてこられて)つきまとわれ監視された。ジーンズでビデオカメラを持った私は、そのおじさんにとっては他惑星から来たスパイかテロリストに見えたのに違いない。

 その後大急ぎで画廊街に行った。地図で調べて画廊が集中する地域でいくらかの画廊を見た。写真(タオルをまいた等身大の裸の老女性)とインスタレーション(木造のサウナ風建造物)を組み合わせた展覧会があり、質問してみたが、女性ディレクターは努力してくれたが結局英語が話せないので、それに英文のリリースも無くて、全くお手上げだった。私は昔大学でドイツ語を第二外国語としたのであるが、大昔で、ほとんど思い出せないのである。けれどわずかに知っているドイツ語に助けられる場面も何度かあった。知識の少なさからすればそれは驚異的な役立ち方だったと思う。

 かみさんにせかされながらホテルに戻り、荷物を受け取って駅に急いだ。ベルリン行きの特急に乗ったのはもう3時半になっていた。列車の窓から眺めたドイツの夕暮れの空は、この後ベルリンの美術館で見ることになった、ドイツの、シュールな絵画の始祖とされる、C.D.フリードリッヒ(1774〜1840)の絵が、シュールではなく現実であることを示しているように思わせる異様な美しさに彩られていた。

An Evening Glow in Germany

長くなるので、ベルリンについては次回に譲りたい。


●<その1>ブルックリン、プロスペクト・プレースへ
●<その2>YMCAへ
●<その3>ハローウィンへ
●<その4>午前3時のサブウエイへ
●<その5>クリスマス・パーティへ
●<その6>ドイツを旅した(1)へ
●<その7>P.S.1「大ニューヨーク」展/2000へ
●<その8>ワールドトレードセンター崩壊
●<その9>楽しい、しかし暑い、ブルックリンの夏
●<その10>グリーン・マーケット 3月10日土曜日、晴れ、
●<その11>ゴッド・ブレス・アメリカ(神はアメリカを祝福したまう)
日影眩のウェブサイトホームページへ

TOP